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奇跡とは、、、

奇跡

 

1.奇跡とは

奇跡とは

☆  行為

○  奇跡とは、当たり前のことを、当たり前ではないものの中に見出そうとすること

 『奇跡というものは、あたりまえのことを、あたりまえではないものの中に見出そうとすることですよ』

(アメリカの作家・詩人・哲学者 ノア・ベンシーNoah ben Shea「パン屋のヤコブ」)

 

○  奇跡とは、可能であることを確認する作業

 『奇跡とは不可能なことを可能にすることではなく、可能であることを確認する作業なのです』(アイルランドの教育学者・宗教家 ジョセフ・マーフィーJoseph Murphy<1898~1981>「マーフィー珠玉の名言集」)

 

○  奇跡とは、懸命に努力し、厳しく自分の内面を見つめることによって手に入れるもの

○  奇跡とは、不可能だと思われていた変化を実現させるもの

 『奇跡は手品のトリックではない。奇跡とは、以前は不可能だと思われていた変化を実現させることだ。奇跡は結果ではない。それはプロセスである。奇跡は天からの贈り物ではない。懸命に努力し、厳しく自分の内面を見つめることによって手に入れるものだ。奇跡はただでもらえるものではない。条件がついている。他の人と分かち合おうとしなければ、ずっとその手に持っていることはできないだろう』

(アイオワ大学教授・作家 ジョー・タイJoe Tye「天使になった男」)

 

○  奇跡とは、自分で起こすもの

 『奇跡は自分で起こすもの』              (野球選手 市丸 大介<1989~>「奇跡は起こせる!」より)

 

 『奇跡は起きるものじゃない。自分で起こすものだ』

(レーサー・モータージャーナリスト 太田 哲也<1959~>「生き方ナビ」)

 

 『奇跡は起こるものじゃない。起こすもの』

(心理占星術研究家・翻訳家 鏡 リュウジ(本名:服部彰浩)<1968~>「奇跡の言葉」)

 

 『「奇跡」とは、起きるものじゃない。起こすものだ』

(金綱 利明「It‘smyD-word」より)

 

 『奇跡は起こるものではない。奇跡は自分で起こすものだ』

(登山家・㈱たお代表取締役 栗城 史多<1982~2018>「NOLIMIT」)

 

 『奇跡は起こるもんじゃねえ・・・人が起こすもんだ』

                   (漫画家 鈴木 信也<1975~>「漫画~Mr.FULLSWING 第七巻、第十八巻」)

 

○  奇跡とは、信じる人に起きるもの

 『奇蹟とは、常に結果に対してではなく、信仰を深めるきっかけとして起こるものなのです』  

                           (工藤 かずや・浦沢 直樹「漫画~パイナップルARMY 第八巻P.15」)

 

 『奇蹟は信じる者だけに起きる(もの)』        (女優・タレント 歌手 田中 律子<1971~>「sweet leaf」)

 

 『奇跡は、それを信じるものに起こる』(リトアニア生まれのアメリカの美術評論家 バーナード・ベレンソンBernard G. Berenson<1865~1959>)

 

☆  状態

○  奇跡とは、裏があるもの

 『奇跡には必ず裏があるもの。歴史とは勝者の作り話に過ぎない』  (作家 加藤 廣<1930~>「信長の棺」)

 

○  奇跡とは、神さまが自分の愛を目に見えるように示してくれたもの

 『奇跡というのは、神様が自らの愛を人々の前に目に見えるような形で示してくれることです。決して不思議な事を見せて人をびっくりさせることではないんです』    (小説家 篠田 節子<1955~>「インコは戻ってきたか」)

 

○  奇跡とは、研究不足、勉強不足の人の言葉

 『奇跡などというのは研究不足、勉強不足の者の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりしておるのです。悪いことをしますと、いつかは悪い結果があらわれ、善いことをすれば善い結果があらわれる、というのは厳粛な自然の法則であります』                 (思想家・陽明学者 安岡 正篤<1898~1983>)

 

○  奇跡とは、時間がかかるもの

 『私には壁に貼るシンプルなメッセージがある。「何も不可能なことはない」だ。奇跡というものは時間がかかる。どんな人間でも奇跡を作り出せることができるが、私はそれを信じてはいない。アインシュタインは言った。「人生には二通りの生き方がある。一つは何も奇跡なんてないと思って生きること。もう一つは、すべてが奇跡だと思って生きることだ」と。私は一つ目の考えをする人間だ。最後の一秒まで敗北を受け入れず、戦い続ければ、おのずと勝利へのチャンスが自分たちに与えられるものだ』

(トルコのサッカー選手・サッカー指導者 ファティ・テリムFatih Terim<1953~>)

 

○  奇跡とは、誰にでも起きるもの

 『奇跡は、誰にでも一度おきる。だが、おきたことには誰も気がつかない』

                (漫画家・タレント・作詞家 楳図 かずお(本名:楳図一雄)<1936~>「わたしは真吾」)

 

 『奇跡は、誰しも必ず起こせる。私はいつもそう信じている。ただし奇跡を起こすには、奇跡が起きたときにそれをしっかりキャッチするための準備をしておかなければならない。そのときがきたら、絶対にチャンスを逃さないためのスタンバイをしていた人間にだけ、奇跡は起きるのだ』(演出家・テレビプロデューサー・タレント・評論家・著作家 テリー 伊藤(本名:伊藤輝夫)<1949~>「「THE212007年09月号」より)

 

○  奇跡とは、予想しない形で訪れるもの

 『奇跡は予想しない形でしか訪れない』   (小説家 吉本 ばなな(本名:吉本 真秀子)<1964~>「リッスン」)

 

☆  存在

○  奇跡とは、いくつもの運が重なること

 『いくつもの運が重なり、それが「奇跡」につながったのだ』(演出家・テレビプロデューサー・タレント・評論家・著作家 テリー 伊藤(本名:伊藤輝夫)<1949~>「「THE212007年09月号」より)

 

○  奇跡とは、起こして初めて、価値がでるもの

 『奇跡ってのは、起こしてこそ初めて、価値が出るものよ』

(映画監督・アニメーター 庵野 秀明<1960~>「新世紀エヴァンゲリオン」)

 

○  奇跡とは、金では買えないもの

 『奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない』(ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手・サッカー指導者 イビチャ・オシムIvan "Ivica" Osim<1941~>「2009年01月」)

 

○  奇跡とは、緻密に計画されたもの

 『すべての奇跡は恐ろしく緻密に計画されているものだ』

        (TOHOシネマズ㈱代表取締役社長 山本 マーク 豪<1967~>「ポップコーンはいかがですか?」)

 

○  奇跡とは、努力の結果

 『私、奇跡なんて信じないわよ。これは奇跡なんかじゃない。あなたとCRASHがつみあげてきた、努力の結果でしょ』                (漫画家 藤原 ゆか(本名:藤原 友佳)<1985~>「漫画~CRASH! 第六巻」)

 

○  奇跡とは、非力なものに舞い降りる幸運

 『奇蹟とは、非力なものに舞い降りる幸運』  (漫画家 原 泰久<1975~>「漫画~キングダム 第六巻P.201」)

 

○  奇跡とは、プロセス

 『奇跡は手品のトリックではない。奇跡とは、以前は不可能だと思われていた変化を実現させることだ。奇跡は結果ではない。それはプロセスである。奇跡は天からの贈り物ではない。懸命に努力し、厳しく自分の内面を見つめることによって手に入れるものだ。奇跡はただでもらえるものではない。条件がついている。他の人と分かち合おうとしなければ、ずっとその手に持っていることはできないだろう』

(アイオワ大学教授・作家 ジョー・タイJoe Tye「天使になった男」)

 

○  奇跡とは、本当にあること

 『「奇跡」という言葉は、この世の中に本当にあることだから言葉として残っているのよ』

(田中美香の母の友人「人からもらった忘れられない言葉」より)

 

☆  出来事

○  奇跡とは、起こるはずのない出来事

 『人間は、起こるはずのない出来事を奇跡と呼ぶ』    (小説家・映画監督 新堂 冬樹<1966~>「忘れ雪」)

 

○  奇跡とは、さまざまな条件によって起こった複雑な出来事

 『奇跡とされていたものは、実は、さまざまな条件によって起こった複雑なできごとにすぎない。精神的世界でも物理的世界でも、ほとんどいたるところで、人はそのようにうまく説明をつけてきた』(ドイツの哲学者・古典文学者 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzsche<1844~1900>「人間的な、あまりに人間的な」)

 

☆  法則

○  奇跡とは、それまで人間が知っていたよりもさらに高いレベルの自然の法則

 『奇跡とは、それまで人間が知っていたよりもさらに高いレベルの自然の法則です。決して神秘的出来事ではありません』(アイルランドの教育学者・宗教家 ジョセフ・マーフィーJoseph Murphy<1898~1981>)

 

奇跡が起きる人とは

○  奇跡が起きる人とは、奇跡に向かって邁進している人

 『奇跡を起こすチャンスは誰にでも必ず訪れる。それが一年後なのか五年後なのか、十年後なのかはわからない。しかしその間、奇跡に向かって遭遇している者にだけ、奇跡が起きるのだ』(演出家・テレビプロデューサー・タレント・評論家・著作家 テリー 伊藤(本名:伊藤輝夫)<1949~>「THE212007年09月号」より)

 

○  奇跡が起きる人とは、チャンスを逃さないためにスタンバイしていた人

 『奇跡は、誰しも必ず起こせる。私はいつもそう信じている。ただし奇跡を起こすには、奇跡が起きたときにそれをしっかりキャッチするための準備をしておかなければならない。そのときがきたら、絶対にチャンスを逃さないためのスタンバイをしていた人間にだけ、奇跡は起きるのだ』(演出家・テレビプロデューサー・タレント・評論家・著作家 テリー 伊藤(本名:伊藤輝夫)<1949~>「「THE212007年09月号」より)

 

奇跡を起こせる人とは

○  奇跡を起こせる人とは、頭のよくない人(考えずに行動できるから)

 『頭のいい奴に「奇跡」なんか起こせない』

(たかしげ 宙・DOUBLE-S「漫画~死がふたりを分かつまで 第二五巻P.53」)

 

2.奇跡を構成するものとは

奇跡が起きる時とは

○  奇跡が起きる時とは、いつでも

 『奇跡は毎日起きる』(アメリカの映画監督・脚本家 ロバート・ゼメキスRobert Zemeckis<1952~>「映画~フォレスト・ガンプ」)

 

○  奇跡が起きる時とは、自分の力でなんとかしようとする時

○  奇跡が起きる時とは、仲間を信じる時

 『奇跡はどういうときに起きるのか。まずは、それぞれが自分の力で何とかしようと思うことである。自分を信じ、自分の役割を果たす。次に、仲間を信じる力である。仲間を信じるから、自分の役割も、思い切って果たせる。すると、この信じる力が合わさって1+1が2ではなく、3にも5にも10にもなることが起きる。これに運が加われば、奇跡の確率は高くなろう』                    (作家 遠越 段「桜木花道に学ぶ“超”非常識な成功のルール48」)

 

奇跡がある場所とは

○  奇跡がある場所とは、明日を信じて、前に進む心の中

 『「奇跡」とは、あしたを信じて、少しずつでも前へ進む心の中にあるんです』

(田中 美香「人からもらった忘れられない言葉」より)

 

○  奇跡がある場所とは、いたるところ

 『説明のつかない現象という意味での奇跡はいたるところで我々を取り巻いている。人生自体が奇跡中の奇跡である』(アイルランドの劇作家・イギリス近代演劇の確立者 ジョージ・バーナード・ショーGeorge Barnard Shaw<1856~1950>「キリスト教の今後」)

 

奇跡が生まれる場所とは

○  奇跡が生まれる場所とは、情熱の中

 『奇跡は、情熱の中からしか生まれない』

         (ミュージシャン・詩人・道化師 ドリアン助川(明川哲也、本名:助川哲也)<1962~>「青春放浪」)

 

奇跡が起こる場所とは

○  奇跡が起こる場所とは、信じる人のところ

 『奇跡は信じない人のところには起きない』

(サッカー選手 川島 永嗣<1983~>「2014年ブラジルW杯でのコメント」)

 

○  奇跡の起こる場所とは、突き止めることはできない

 『奇跡の居場所を突き止めることなどできません。突き止められるなら奇跡とは言いません』

                    (サッカー選手・サッカー指導者 岩政 大樹<1982~>「PITCH LEVELP.110」)

 

○  奇跡の起こる場所とは、望んだ人のところ

 『「奇跡」は望んだ人のところにしか起こらない』

                             (女優・タレント 飯島 直子<1968~>「ずっとこのまま愛せたら」)

 

奇跡の素晴らしいところとは

○  奇跡の素晴らしいところとは、起こる可能性を秘めているところ

 『奇跡の素晴らしいところは起こる可能性を秘めていることである』                 (TOM<仮名>)

 

奇跡を起こすチャンスとは

○  奇跡を起こすチャンスとは、誰にでも公平に訪れる

 『奇跡を起こすチャンスは誰にでも必ず訪れる。それが一年後なのか五年後なのか、十年後なのかはわからない。しかしその間、奇跡に向かって遭遇している者にだけ、奇跡が起きるのだ』(演出家・テレビプロデューサー・タレント・評論家・著作家 テリー 伊藤(本名:伊藤 輝夫)<1949~>「THE212007年09月号」より)

 

4.奇跡に影響を与えるためには

奇跡に近づくために必要なものとは

○  奇跡に近づくために必要なものとは、奇跡が起きることを信じて可能性を高めること

 『奇跡を起こすことは簡単ではありません。しかし、奇跡が起こることを信じてその可能性を高めていく、可能性を積み重ねていくことによってしか、奇跡へと近づくことはできないと思います。みずから「奇跡を起こす」ことはできないと思います』        (ImaginationCreative代表 方喰 正彰「ワンピースの言葉が教えてくれること」)

 

奇跡と向き合う上で大切なこととは

○  奇跡と向き合う上で大切なこととは、奇跡があるかどうかを信じるかは自分次第

 『私には壁に貼るシンプルなメッセージがある。「何も不可能なことはない」だ。奇跡というものは時間がかかる。どんな人間でも奇跡を作り出せることができるが、私はそれを信じてはいない。アインシュタインは言った。「人生には二通りの生き方がある。一つは何も奇跡なんてないと思って生きること。もう一つは、すべてが奇跡だと思って生きることだ」と。私は一つ目の考えをする人間だ。最後の一秒まで敗北を受け入れず、戦い続ければ、おのずと勝利へのチャンスが自分たちに与えられるものだ』

(トルコのサッカー選手・サッカー指導者 ファティ・テリムFatih Terim<1953~>)

 

○  奇跡と向き合う上で大切なこととは、奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究すること

 『奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない』(ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手・サッカー指導者 イビチャ・オシムIvan "Ivica" Osim<1941~>「2009年01月」)

 

奇跡を起こすために必要なものとは

○  奇跡を起こすために必要なものとは、諦めないで行動すること

 『今、僕は、奇跡ってやっぱりあるんだと感じている。でもそれは、向こうからやってくるものじゃない。突然起こるわけでもない。あきらめないで何か行動を起こすことで、思いもよらない奇跡がもたらされるのだと思う』

(レーサー・モータージャーナリスト 太田 哲也<1959~>「生き方ナビ」)

 

 『奇跡はあきらめない奴の頭上にしか降りて来ない!!!!“奇跡”ナメんじゃないよォ!!!!』

                           (漫画家 尾田 栄一郎<1975~>「漫画~ONE PIECE第55巻」)

 

 『諦めなきゃ、奇跡だって起こせるわよ!』     (漫画家 瀬尾 公治<1974~>「漫画~風夏 第八巻P.69」)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、抗い続けること

 『抗い続ける事で届く奇跡もある』        (漫画家 えすの サカエ<1973~>「漫画~未来日記 第十巻」)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、今の自分ができることをやり続けること

 『奇跡を起こすためには、今の自分ができることをやり続けるしか僕には方法がなかった』

(キックボクサー・俳優・タレント 魔裟斗(本名:小林雅人)<1979~>「青春」)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、困難に遭遇しても決してブレないリーダー

○  奇跡を起こすために必要なものとは、目的・ゴールの明確さ

○  奇跡を起こすために必要なものとは、良い意見であれば積極的に取り入れる度量

 『小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクト・マネージャー、川口淳一郎教授に質問する機会がありました。奇跡の生還をもたらした秘訣について、川口さんは3点挙げました。3億キロの彼方のイトカワから星のかけらを持ってくるという目的・ゴールの明確さ。困難に遭遇しても決してブレないリーダー。そして良い意見であれば積極的に採り入れる度量でした。政治のあるべき姿そのものです』

(政治家・弁理士 菅直人<1946~>「読売新聞 2010年09月18日号」より)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、その気になること

 『だから、いつも言ってんだろ。人間、その気になりゃ、奇跡だって起こせるってよ』

              (漫画家 鈴木 信也<1975~>「漫画~Mr.FULLSWING第三巻、第六巻、第二四巻」)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、それを信じること

 『信じていれば奇跡はおこるんじゃ』

(漫画家 天野 こずえ<1974~>「漫画~小さな聖夜 天野こずえ短編集1P.128」)

 

 『を欲するならば、まず自ら善ならざるべからず。喜びを欲するときは、まず自らの血を鎮めさるべからず。を欲するものは、熱せる葡萄を絞るべく。奇跡を得んとするならば、信仰を強からしむべき』(ドイツの詩人・小説家・劇作家 ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテJohann Wolfgang von Geothe<1749~1832>「ファウスト」)

 

 『希望があるから、奇跡は起こる』       (漫画家 皆川 亮二<1964~>「漫画~D-LIVE!! 第二巻」)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、入念に準備すること

 『奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない』(ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手・サッカー指導者 イビチャ・オシムIvan "Ivica" Osim<1941~>「2009年01月」)

 

 『奇跡は、誰しも必ず起こせる。私はいつもそう信じている。ただし奇跡を起こすには、奇跡が起きたときにそれをしっかりキャッチするための準備をしておかなければならない。そのときがきたら、絶対にチャンスを逃さないためのスタンバイをしていた人間にだけ、奇跡は起きるのだ』(演出家・テレビプロデューサー・タレント・評論家・著作家 テリー 伊藤(本名:伊藤輝夫)<1949~>「「THE212007年09月号」より)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、他の人と分かち合うこと

 『奇跡は手品のトリックではない。奇跡とは、以前は不可能だと思われていた変化を実現させることだ。奇跡は結果ではない。それはプロセスである。奇跡は天からの贈り物ではない。懸命に努力し、厳しく自分の内面を見つめることによって手に入れるものだ。奇跡はただでもらえるものではない。条件がついている。他の人と分かち合おうとしなければ、ずっとその手に持っていることはできないだろう』

(アイオワ大学教授・作家 ジョー・タイJoe Tye「天使になった男」)

 

○  奇跡を起こすために必要なものとは、我を忘れて物事に取り組むこと

 『一切の迷いを捨て、我を忘れてものごとに取り組むと、自分本来のを超えた力を発揮できることがあります。その力は、まわりの人をも動かします。そして、まわりの人たちの限界さえも突破させることがあります。奇跡とも思えるできごとは、こうして生まれるのです』                                                 (女性実業家 広岡 浅子<1849~1919>「一週一信」)

 

奇跡を呼び込むために必要なものとは

○  奇跡を呼び込むために必要なものとは、非常識な願い

 『“非常識な願い”こそが、奇跡を呼ぶのです』

(心理カウンセラー 植西 聰<1947~>「いいこと」がたくさん起こる名言セラピー)

 

カメラマンとは

カメラマン

 

1.カメラマンとは

カメラマンとは

○  カメラマンとは、カメラを持っている人

○  カメラマンとは、撮りたい瞬間にパッと撮れる人

 『カメラマンっていうのは、「カメラを持っている人」だからね。スタジオとか現場だけで写してるんじゃなくって、ずっと「カメラの人」じゃないと、カメラマンとかフォトグラファーにはならないんだよ。しかもね、バッグに入ってるだけじゃダメなんだよ。抜き身でポケットに入ってないとダメ。カメラ入ってますってバッグに入れて、肩に担ぐのじゃダメなんだな。撮りたいっていう瞬間にパッと撮れないとダメなのよ。パッと武器のように出して撮れないとダメなわけ』

(写真家・現代美術家 荒木 経惟<1940~>「すべての女は美しい」)

 

○  カメラマンとは、指の思想家

 『(カメラマンって?)指の思想家だね、指想家。だってカメラは身体とつながっている。人間の仕草は脳味噌につながっているから、シャッターボタンを押す指の使い方一つだって重要だよ。カメラマンって意識とか身ぶりが大切だね。指で思想を表すってこと』   (写真家・現代美術家 荒木 経惟<1940~>「天才アラーキーの眼を磨け」)

 

いい笑顔を撮れる人とは

○  いい笑顔を撮れる人とは、腕のいいカメラマン

○  いい笑顔を撮れる人とは、撮った人のことを好きな人

 『こんな笑顔をとるとはよっぽど腕のいいカメラマンか、よほど君のことを好きかだね』

(漫画家 北条 司(本名:北條 司)<1959~>「漫画~シティーハンター 第十二巻」)

 

何を撮りたいかはっきりしている人とは

○  何を撮りたいかはっきりしている人とは、ブックに筋が通っている人

 『仕事をしたいと思うのは、どのような写真家ですか――たとえばファッション写真ならモデルの内面までも写しとれるかどうか。スタイリングやヘアメイクをしたモデルを、キレイに撮ることができるのは当たり前。そこに「こういうふうにあなたを撮りたい」という“意識”が感じられるかどうか、ですね。ブック(営業用のポートフォリオ)を見ればわかるんです。迷いがある人のブックは、だいたい4枚ごとに写真のテイストが違うんですよ。ムラがある。それに対して、何を追求して写真を撮りたいかがはっきりしているは、ブックに筋が通っているんです』

(コーディネーター 尾留川 祐子「PHATPHOTO2007年9月~10月号」より)

 

ひとつのテーマを撮り続けている人とは

○  ひとつのテーマを撮り続けている人とは、好きなモノを集めるコレクターに似ている

 『私たちが思わずシャッターを押したくなる瞬間はどんなときなのだろう。何気ない日常のひとこま、思い出を残したいとき、ファインダー越しに見える世界を誰かに届けたいとき。そして、どうしても撮らずにはいられない“何か”があるとき。”何か“の写真を撮り続けている人は、好きなモノを集めるコレクターに似ている。集めるほどに奥深くなり、面白くなり、ひとつだけでは見えなかった意味が生まれたりもする。それはきっと写真も同じことなんだろうと思う』                                              (田口 みき子「カメラ日和2006年05月号」より)

 

フリーのカメラマンになる人とは

○  フリーのカメラマンになる人とは、自分の中に表現したい何かがある人

 『フリー(のカメラマン)になるヤツってのは、自分の中に表現したい何かがあると思うんだよ。技術的な事をあれこれ考えるより先にシャッター押してんだよな。最近はカメラがより身近になってるから特にそうかも知れん。要は感性の問題ってコトだ。絵にしたって写実的な絵ばかりが優れた芸術じゃないってのと同じでさ。何を撮るか、どう撮るか、そういうヤツは自分なりの法則を持っているんだよ』

(漫画家・イラストレーター 冬目 景「漫画~イエスタディをうたって 第五巻P.139」)

 

2.カメラマンを構成するものとは

カメラマンの写真力とは

○  カメラマンの写真力とは、形に表せないことをどれだけ身につけているか

 『カメラマンは、ばくぜんと被写体にカメラを向けても写真にはならない。取材者は常に対象から何を感じとるのか、対象とどうかかわって、対象の何を引き出すのかを考えなければいけない。対象の何を見るかはレンズの眼では決まらない。事実から何を引き出すかを判断するために、対象を見る力を養っておかなければならない。それは、カメラ操作テクニックをマスターしたからといって身につくものではない。趣味としての写真世界では巧みなカメラテクニックが写真の評価につながるということもあるようだが、カメラテクニックが先行していくほど対象を見る力は失われていくものだ。写真を撮るという行為は、カメラマンがファインダーで選び、切り取るという事実があるということだ。ジャーナリズムの世界ではよく客観的に撮れということが言われるけれど、カメラマンのファインダーで選ばれたシーンはどうしたって主観的なものにならざるを得ない。だから、対象を見る眼が重要になってくるのだ。カメラテクニックは経験を積めば簡単に覚えられる。その結果は写真画像で証明できるが、ものの見方、感じ方は形で見ることはできない。形で表せないものをどれだけ身につけるかが、カメラマンの写真力となる』

(写真家 丹野 清志<1944~>「写真屋稼業」)

 

戦場カメラマンの条件とは

○  戦場カメラマンの条件とは、必ず生きて戻ってくること

 『戦場カメラマンの絶対条件は、必ず生きて戻ってくること。取材よりも、危機管理が第一の場所であると思っています』          (戦場カメラマン・ジャーナリスト 渡辺 陽一<1972~>「GOETHE2011年01月号」より)

 

プロとアマチュアカメラマンの差とは

○  プロカメラマンとアマチュアカメラマンの違いとは、自分らしさが出ているかどうか

 『写真の世界は、ものすごい技術の進歩で、プロのカメラマンとアマチュアの違いがあまりなくなってくる。じゃあ、どこで差が出るかといえば、何を撮るかという「自分らしさ」が大事になる。デジカメを使ったところで、何を撮りたいのかがなければ自分を表現できません』

        (プロデューサー・作詞家・放送作家・脚本家 秋元 康<1958~>「“コロンブスの卵”の見つけ方」)

 

○  プロとアマチュアのカメラマンの差とは、シャッターチャンスに撮れるかどうか

 『シャッターチャンスに撮れるか撮れないかというのが、プロとアマチュアの差かもしれない。そのシャッターチャンスを逃したら、もうプロとしては失格だ。そのシャッターチャンスに1週間という時間を費やしているのだから。だいたい、1週間のうちに5日目や6日目まで何も撮れなくて今回の取材はダメだと思うことがほとんどなのだ。まれに、最初の日にシャッターチャンスに恵まれることもあるけれど、一番最後の最後に撮れるということも多い。ほっと胸をなで下ろして帰ることも1回や2回ではない。ネコに助けられたことも多々あるから、最後まであきらめない』

                                      (動物写真家 岩合 光昭<1950~>「ネコを撮る」)

 

プロカメラマンに求められる撮影テクニックとは

○  プロカメラマンに求められる撮影テクニックとは、商品として売れる写真を撮ること

 『プロカメラマンに求められる撮影テクニックとは、芸術作品を作るためのそれではなく、いかに商品として売れる写真を撮るかということだ。商品は売れなければならない。だからカメラマンは売れるような写真を撮る。そのための撮影テクニックが、レンズの使い方であり、絞りの選び方であり、シャッター速度の選び方であり、構図の決め方なのだ。趣味として写真を楽しみたいという人たちのための写真教室があちこちで開かれているが、指導する人はたいていプロカメラマンだから、アマチュアの人が教わっている技法というのは作品のためのそれではなく、いかに商品として売れるかのためのカメラマンテクニックでもある。だから、アマチュアの人のほうがへたなプロよりプロカメラマンらしかったりするのだ』                                   (写真家 丹野 清志<1944~>「写真屋稼業」)

 

4.カメラマンに必要なものとは

カメラマンとして大切なこととは

○  カメラマンとして大切な事とは、自分の心に正直な写真を撮影すること

 『クリエイターである以上、流行は従うものではなくつくるもの。賞の傾向に合わせようとして、自分の心に嘘をついて不本意な写真を撮ったりしたら、人生が狂ってしまいます。芸術は自分の心に即すほど意義があり、人生にとって価値がある。正直でいることを通すのは、カメラマンには必要最低限の理性だと思います』

             (写真家・作詞家 ハービー・山口<1950~>「PHaT PHOTO2009年11月~12月号」より)

 

○  カメラマンとして大切な事とは、対象から何を感じ取るのか考えること

○  カメラマンとして大切な事とは、対象とどう関わるのか考えること

○  カメラマンとして大切な事とは、対象の何を引き出すのか考えること

 『カメラマンは、ばくぜんと被写体にカメラを向けても写真にはならない。取材者は常に対象から何を感じとるのか、対象とどうかかわって、対象の何を引き出すのかを考えなければいけない。対象の何を見るかはレンズの眼では決まらない。事実から何を引き出すかを判断するために、対象を見る力を養っておかなければならない。それは、カメラ操作テクニックをマスターしたからといって身につくものではない。趣味としての写真世界では巧みなカメラテクニックが写真の評価につながるということもあるようだが、カメラテクニックが先行していくほど対象を見る力は失われていくものだ。写真を撮るという行為は、カメラマンがファインダーで選び、切り取るという事実があるということだ。ジャーナリズムの世界ではよく客観的に撮れということが言われるけれど、カメラマンのファインダーで選ばれたシーンはどうしたって主観的なものにならざるを得ない。だから、対象を見る眼が重要になってくるのだ。カメラテクニックは経験を積めば簡単に覚えられる。その結果は写真画像で証明できるが、ものの見方、感じ方は形で見ることはできない。形で表せないものをどれだけ身につけるかが、カメラマンの写真力となる』

(写真家 丹野 清志<1944~>「写真屋稼業」)

 

○  カメラマンとして大切な事とは、何が大事で、本質がどこにあるかを考えて撮影する事

 『ドキュメンタリーではディレクターの構成どおりに事が運ばないのが常で、さまざまな出来事が同時に起こる中、カメラマンは、何が大事なのか、本質はどこにあるのか、と絶えず考えながら事象を切り取っていく。とっさの判断なので撮影者の経験や考えが映像に反映され、迷いも鈍感さも人間性も、すべてが露呈してしまう。怖い仕事である。だが人の心情や感情の動きを撮影できたときの達成感は格別だ』

(カメラマン 本野 道子<1965~>「放送ウーマンのいま」より)

 

カメラマンに必要なものとは

○  カメラマンに必要なものとは、写真を見る人を撮影した瞬間へと連れ出す技術こと

 『作為のない写真は作為のある同じレベルの写真よりも優れている。それは、どう優れているのかと言うとね、人間と神の意思の違いとでもいうのかな。・・・言っている意味が最後まで僕にはよく分からなかった。でも佇む人間の写真を撮りながら、佇立ということの中で一番邪魔なものが作為であることを、僕は理解することができた。今まで出会った好きな写真には作為が少ないような気がする。満足していた写真が次第に不満になっていくのは、そこに作為が隠れていることを発見してしまうからだ。尤も作品である以上完全に作為を削除することは難しい。だからこそ作為と自然さとの戦いになる。カメラマンに必要なのは、作為を前面にださずに、それを自然さの中にくるみこんで隠し、見るものを撮影した瞬間へと連れ出す技術である』

(作家・俳優・歌手・映画監督 辻 仁成<1959~>「ワイルドフラワー」)

 

○  カメラマンに必要なものとは、対象を見る目

 『カメラマンは、ばくぜんと被写体にカメラを向けても写真にはならない。取材者は常に対象から何を感じとるのか、対象とどうかかわって、対象の何を引き出すのかを考えなければいけない。対象の何を見るかはレンズの眼では決まらない。事実から何を引き出すかを判断するために、対象を見る力を養っておかなければならない。それは、カメラ操作テクニックをマスターしたからといって身につくものではない。趣味としての写真世界では巧みなカメラテクニックが写真の評価につながるということもあるようだが、カメラテクニックが先行していくほど対象を見る力は失われていくものだ。写真を撮るという行為は、カメラマンがファインダーで選び、切り取るという事実があるということだ。ジャーナリズムの世界ではよく客観的に撮れということが言われるけれど、カメラマンのファインダーで選ばれたシーンはどうしたって主観的なものにならざるを得ない。だから、対象を見る眼が重要になってくるのだ。カメラテクニックは経験を積めば簡単に覚えられる。その結果は写真画像で証明できるが、ものの見方、感じ方は形で見ることはできない。形で表せないものをどれだけ身につけるかが、カメラマンの写真力となる』

(写真家 丹野 清志<1944~>「写真屋稼業」)

 

職業カメラマンとして大切なこととは

○  職業カメラマンとして大切なこととは、クライアントの要望に応えること

 『芸術家が型にはまらない写真を撮るなら、オレ達(職業的カメラマン)はクライアントの要望にきっちりこたえる、実物以上の写真でさ』     (漫画家・イラストレーター 冬目 景「漫画~イエスタディをうたって 第五巻P.140」)

 

ギャンブルとは

ギャンブル

 

1.ギャンブルとは

ギャンブルとは

○  ギャンブルとは、悪魔の取引き(客と店の気持ちが真逆だから)

 『あのな、前にあたし、ギャンブルは悪魔の取引だって、いっただろう。なんでだか分かるか。つまり・・・たとえば、分かりやすくパチンコ屋を例にとるとだな、客が勝って喜んでるとき、店側は泣いてんだよ。客が負けて泣いてるとき、店側は必ず、腹抱えて笑ってんだ。ザマーミロってな・・・たいていのギャンブルってのは、本質的にはそういうもんだ』                        (小説家 誉田(ほんだ) 哲也<1969~>「世界でいちばん長い写真」)

 

○  ギャンブルとは、自分が神になろうとする遊び

 『もともとギャンブルは自分が神になろうとする遊びなのだ。勝つことが神なのだからね』

        (小説家・エッセイスト・雀士 色川 武大(阿佐田 哲哉)<1929~89>「阿佐田哲哉の競輪教科書」)

 

○  ギャンブルとは、貧乏人のためのもの

 『ギャンブルはね、今はもうあまりやらないんだよ。ギャンブルが楽しいのは、貧乏なときだけじゃないの?金持ちがいくら張ったって楽しいわけないもん。だって負けてもいい金なんだもん。負けちゃいけない金をギャンブルに入れるのは、貧乏な人だけだから(笑)。ギャンブルは貧乏な人のためのもの』

(コメディアン・映画監督・俳優・司会者 北野 武<1947~>「生きる」)

 

☆  種類

大人のギャンブルとは

○  大人のギャンブルとは、株式市場

 『大人のギャンブルって何だろう?それは、株式市場だ(What’s the adult from of gambling? It’s the stock market)』(アメリカのPIMCO共同創業者 ビル・グロスWilliam Hunt "Bill" Gross<1944~>「COURRIER JAPON2011年01月号」より)

 

最も期待値の高いギャンブルとは

○  最も期待値の高いギャンブルとは、勉強

 『最も期待値の大きいギャンブルは、勉強である』  (小説家・工学博士 森 博嗣<1957~>「的を射る言葉」)

 

☆ 

ギャンブルで身を滅ぼす人とは

○  ギャンブルで身を滅ぼす人とは、自分が勝つと信じている人

○  ギャンブルで身を滅ぼす人とは、自分は博才があると信じている人

 『ギャンブルで身を滅ぼす人間は、自分が勝つ、自分は博才がある、自分は強い、と信じ込んでいる者がほとんどだ。たいがいの人はそう信じても負けが続くうちにタマ(現金)が揃わなくなるし、周囲から見放されるから、休止または退場する』            (作家・作詞家 伊集院 静(本名:西山 忠来)<1950~>「続・大人の流儀」)

 

ギャンブラーとは

○  ギャンブラーとは、通常の計りを超えた楽天家

 『まぁ・・・ギャンブラーってのは・・・通常の計りを超えた楽天家・・・連中の心は・・・なんであれ・・・最終的に物事は・・・「自分の思い通りはこぶであろう」・・・という妄想で満ちている。だからこそ・・・負けても、負けても、ギャンブルに金を注ぎ込める。つまり・・・やはり・・・最終的に勝つ気でいるのだ』

(漫画家・漫画原作者 福本 伸行<1958~>「漫画~賭博破壊録 カイジ第一巻」)

 

素晴らしいギャンブラーとは

○  素晴らしいギャンブラーとは、9勝6敗ぐらいの維持を目標にしてやっている人

 『俺にとって、本当に一目おかなければならない相手は、全勝に近い人じゃなくて相撲の相手でいうと、9勝6敗ぐらいの星をいつもあげている人なんだな。これも、そのときたまたま9勝6敗が続いているという人じゃなくて、口に出したりなんかしないけれども、はっきり、9勝6敗くらいの維持を目標にしてやっている人だ。・・・14勝1敗の選手を、1勝14敗にすることは、それほど難しくないんだ。ところが、誰とやっても9勝6敗、という選手を、1勝14敗にすることは、これはもう至難の業だね』

              (小説家・エッセイスト・雀士 色川 武大(阿佐田 哲哉)<1929~89>「うらおもて人生録」)

 

胴元とは

○  胴元とは、イカサマをしなくても、営業し続ければ儲かる人

 『ギャンブルで勝つ原則は明快です。長く張り続けた人の勝ちなのです。胴元は、いかさまをしなくても、営業し続けるということで、儲かるのです。おりた人の賭け金が、おりないで続ける人の儲けになるのです。人生においては、お金のかわりに、のやり取りをしています。おりなかった人は、おりた人の運を丸ごともらうことができます。そうして、ますます運が強くなるのです』

(作家・俳優・演出家 中谷 彰宏(あきひろ)<1959~>「人生は成功するようにできている」)

 

本当のギャンブラーとは

○  本当のギャンブラーとは、一か八かの大勝負を経験した人

 『本当のギャンブラーというのは一か八かの大勝負で経験した者ですよ。小銭をいくら賭けたって本物のギャンブラーじゃないですよ』                  (放送作家・小説家 百田 尚樹<1956~>「「賭けられた女」)

 

2.ギャンブルを構成するものとは

ギャンブル依存症とは

○  ギャンブル依存症とは、一文無しになるまでギャンブルをし続けたことがある

○  ギャンブル依存症とは、家族に嘘を言って、ギャンブルをやることがある

○  ギャンブル依存症とは、家族に泣かれたり、約束されたことが2度以上ある

○  ギャンブル依存症とは、ギャンブル場に知り合いや友人がいないほうがいい

○  ギャンブル依存症とは、ギャンブルに行けないことでイライラすることがある

○  ギャンブル依存症とは、ギャンブルのことを考えて仕事が手につかなくなることがある

○  ギャンブル依存症とは、ギャンブルを減らそう、やめようと努力してみたがダメだった

○  ギャンブル依存症とは、財産を勝手に換金してギャンブルに当て込んだことがある

○  ギャンブル依存症とは、支払い予定の金を流用してギャンブルに当て込んだことがある

○  ギャンブル依存症とは、自由なお金があると、まず第一にギャンブルことが頭に浮かぶ

○  ギャンブル依存症とは、総額50万円以上の借金があるのにギャンブルをした事がある

○  ギャンブル依存症とは、20万円以上の借金を5回以上したことがある

 『ギャンブル依存症とは――1.ギャンブルのことを考えて仕事が手につかなくなることがある。2.自由なお金があると、まず第一にギャンブルのことが頭に浮かぶ。3.ギャンブルにいけないことでイライラしたり、怒りっぽくなることがある。4.一文無しになるまでギャンブルをし続けたことがある。5.ギャンブルをへらそうと、やめようと努力してみたが、結局ダメだった。6.家族に嘘を言って、ギャンブルをやることがしばしばある。7.ギャンブル場に、知り合いや友人はいない方がいい。8.20万円以上の借金を5回以上したことがある、あるいは総額50万円以上の借金をしたことがあるのにギャンブルを続けている。9.支払い予定の金を流用したり、財産を勝手に換金してギャンブルに当て込んだことがある。10.家族に泣かれたり、固く約束されたりしたことが2度以上ある。(5項目に該当すれば、ギャンブル依存症)』                      (精神科医 田辺 等「ギャンブル依存症」)

 

ギャンブルが楽しい時とは

○  ギャンブルが楽しい時とは、貧乏な時

 『ギャンブルはね、今はもうあまりやらないんだよ。ギャンブルが楽しいのは、貧乏なときだけじゃないの?金持ちがいくら張ったって楽しいわけないもん。だって負けてもいい金なんだもん。負けちゃいけない金をギャンブルに入れるのは、貧乏な人だけだから(笑)。ギャンブルは貧乏な人のためのもの』

(コメディアン・映画監督・俳優・司会者 北野 武<1947~>「生きる」)

 

ギャンブルで頭を使う理由とは

○  ギャンブルで頭を使う理由とは、単純だから

 『単純だからこそ、ギャンブルは頭を使うんだよ』

(漫画家 北条 司(本名:北條 司)<1959~>「漫画~キャッツ♡アイ 第十八巻P.35」)

 

ギャンブルで勝つ原則とは

○  ギャンブルで勝つ原則とは、長く張り続けた人の勝ちということ

 『ギャンブルで勝つ原則は明快です。長く張り続けた人の勝ちなのです。胴元は、いかさまをしなくても、営業し続けるということで、儲かるのです。おりた人の賭け金が、おりないで続ける人の儲けになるのです。人生においては、お金のかわりに、のやり取りをしています。おりなかった人は、おりた人の運を丸ごともらうことができます。そうして、ますます運が強くなるのです』

(作家・俳優・演出家 中谷 彰宏(あきひろ)<1959~>「人生は成功するようにできている」)

 

ギャンブラーの腕とは

○  ギャンブラーの腕とは、ツキを確実にキャッチし、目一杯使うこと

 『俺が今、待ち望んでいるものはたった一つだ。ツキの風が俺の方に向いてくるきっかけさ。一生ツキ続ける男はいない。一生ツカない男も居ない。誰にだって風の替り目がある。そのきっかけを確実にキャッチし、ツキを一杯に使う、それがギャンブラーの腕なんだ』

               (小説家・エッセイスト・雀士 色川 武大(阿佐田 哲哉)<1929~89>「ぼうふら漂遊記」)

 

ギャンブルをする理由とは

○  ギャンブルをする理由とは、勝てると思うからやること

 『ギャンブルは勝てると思うからやるのである。負けるとわかっていて打つ人は病人である』 

                      (作家・作詞家 伊集院 静(本名:西山 忠来)<1950~>「続・大人の流儀」)

 

ギャンブルの鉄則とは

○  ギャンブルの鉄則とは、落ち目の人の逆に行くこと

 『落ち目の人の逆を行け、これはギャンブルの鉄則だ』(昭和時代の小説家・エッセイスト・雀士 色川 武大(阿佐田 哲哉)<1929~89>「ばいにんぶるーす」)

 

4.ギャンブルに影響を与えるためには

ギャンブルをする上で大切なこととは

○  ギャンブルをする上で大切なこととは、金の張り方は身銭を切る人の自由

○  ギャンブルをする上で大切なこととは、張り方に自分のルールを決めること

 『一攫千金を狙って大きく切るのも良し、手堅く小さい張りを重ねるも良し。どんなギャンブルであれ、金の張り方は身銭を切る人の自由だ。しかし、この張り方に自分のルール、つまり約束事を決めておかないと、張る金に歯止めが利かなくなって負ける時はどこまでも負けてしまう。ギャンブルで“遊ぶ”ためには、その約束事を守れるかどうかにかかっている』         (フリーライター 橋富 政彦<1977~>「福本伸行 人生を逆転する名言集」)

 

ギャンブルで生き残るために必要なものとは

○  ギャンブルで生き残るために必要なものとは、疑い続けること

 『自力で辿り着いたアイディアは本人にとっては特別でのぉ・・・大した考えでなくとも大変な閃きに感じられ・・・なんの吟味もなく、あっさりそれに沿おうとする・・・!疑い続けること・・・不安であり続けることが・・・ギャンブルで生き残るために最も必要な心構えなのに・・・素人ほど、それをすぐに捨てる。言い替えれば・・・すぐ・・・腹を括る』

(漫画家・漫画原作者 福本 伸行<1958~>「漫画~賭博黙示録 カイジ」)

 

ギャンブルで勝つために必要なものとは

○  ギャンブルで勝つために必要なものとは、自己抑制

 『ギャンブルで勝つためには、自己抑制が必要だ。それはビジネス人生にも当てはまる。誘惑に負けず、どう自分を律するかは、身をもって覚えるしかない』(幻冬舎代表取締役社長・編集者 見城 徹<1950~>「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」)

 

○  【ギャンブルで勝つために必要なものとは、長く張り続けること

 『ギャンブルで勝つ原則は明快です。長く張り続けた人の勝ちなのです。胴元は、いかさまをしなくても、営業し続けるということで、儲かるのです。おりた人の賭け金が、おりないで続ける人の儲けになるのです。人生においては、お金のかわりに、のやり取りをしています。おりなかった人は、おりた人の運を丸ごともらうことができます。そうして、ますます運が強くなるのです』

(作家・俳優・演出家 中谷 彰宏(あきひろ)<1959~>「人生は成功するようにできている」)

 

5.ギャンブルとその他の言葉との比較

ギャンブルと変化の違いとは

○  ギャンブルと変化の違いとは、今だけを考えるか、今後のことも考えるかどうか

 『ギャンブル変化との違いは何か。ギャンブルはその瞬間、その一回だけを良しくしようという考え方で、今回だけうまくいけばいいというものです。一方、変化とは、方針や方向性を変える、修正してみて、うまくいかなければ違うことをやる。これを繰り返すことです』                                (将棋棋士 羽生 善治<1970~>「結果を出し続けるために」)

セレンディピティとは。。。

セレンディピティ

 

1.セレンディピティとは

セレンディピティとは

☆  行為

○  セレンディピティとは、探してないけど、良い情報を偶然見つけてしまうこと

 『セレンディピティというのは「偶然幸運とぶつかる力」という意味の英単語で、ネットの世界では「自分が探していたわけではないけれども凄く良い情報を偶然見つけてしまう」というようなニュアンスで使われています』

(ジャーナリスト・評論家 佐々木 俊尚(としなお)<1961~>「キュレーションの時代」)

 

○  セレンディピティとは、素晴らしい偶然に出会うこと

○  セレンディピティとは、予想外のものを発見すること

 『セレンディピティ(serendipity)という言葉があります。素晴らしい偶然に出会ったり、予想外のものを発見するという意味の言葉ですが、本をよく読んでいると、このようなセレンディピティは起こりやすくなると思います。セレンディピティはいろいろな人と出会ったりして知見が高まると、起こる頻度が高まるといわれています』

(伊藤忠商事㈱取締役会長・外交官 丹羽 宇一郎<1939~>「死ぬほど読書P.158」)

 

 『皆さんは“セレンディピティ(serendipity)”という言葉を聞いたことがあるだろうか?この言葉は英国の政治家であり、小説家のホレス・ウォルポール(1717~1797年)という人物による造語で、日本語に直訳すると「求めず思わぬ発見をする能力」=「偶然力」という意味を持つが、僕がスクリューボールを習得できたのは、まさかの“島流し”に遭ったから、異国の地でアイクさんの再会、・・・。そのような幾つもの偶然の重なりによる賜物、つまり“セレンディピティ”が運んでくれたものだと思っている』

              (プロ野球選手・野球解説者 山本 昌(本名:山本 昌広)<1965~>「悪あがきP.75-76」)

 

☆  存在

○  セレンディピティとは、偶然による大発見

 『セレンディピティという名称の由来は寓話の「セレンディップ(セイロン)の三王子」。国の危機を救うため旅に出た王子たちが途中で遭遇した難問を、持前の直観力で解決していくお話しである。それを読んだ18世紀のイギリスの作家ホーレス・ウォルポールが友人に送った手紙のなかで「偶然による大発見をセレンディピティと呼ぶことにしよう」と提案したことから広まったとされる』

(プレジデント編集部 伊藤 博之「プレジデント2007年03月19日号」より)

 

☆ 

○  セレンディピティとは、気づく力

○  セレンディピティとは、実現する力

 『セレンディピティは「気づく力」と「実現する力」に分けられる。気づく力は、一見して関連のないものを結びつけたり、観察したことを推理する力のこと。一方の実現する力は、思いついたことを実現する力のことだ』                                                           (東京理科大学大学院教授 宮永 博史)

 

○  セレンディピティとは、偶然とぶつかる力

 『セレンディピティというのは「偶然幸運とぶつかる力」という意味の英単語で、ネットの世界では「自分が探していたわけではないけれども凄く良い情報を偶然見つけてしまう」というようなニュアンスで使われています』

(ジャーナリスト・評論家 佐々木 俊尚(としなお)<1961~>「キュレーションの時代」)

 

○  セレンディピティとは、偶然を幸運や成功に変える力

 『セレンディピティとは、偶然を幸運や成功に変える力である』      (東京理科大学大学院教授 宮永 博史)

 

2.セレンディピティを構成するものとは

セレンディピティの反対語とは

○  セレンディピティの反対語とは、タコツボ化(求めた情報しかでないこと)。

 『セレンディピティの反対語は、「タコツボ化」。ネットに批判的な高齢者のかたはよく「検索エンジンは情報をタコツボ化してしまう」と批判されています。それはまったくご指摘の通りで、キーワードで検索する検索エンジンは、どうしてもキーワードに引きずられてしまって、そのキーワードと関係のない情報は出て来ない。だからタコツボ化してしまうわけで、ここにどうやってセレンディピティを生み出すのかが大きな課題となっていました。そこでシュミットさんは「未来の検索エンジンはキーワードで検索するのではなく、ライフログのしくみで動くから、タコツボ化しないのだ」とおっしゃっているわけです。ライフログは生活行動記録を収集することで、人々が持っている無意識を可視化し、データベース化してしまいます。それを一〇〇パーセント分析することが可能になってくれば、ライフログが情報流通のすべてを司ることも不可能ではないでしょう』                                 

                       (ジャーナリスト・評論家 佐々木 俊尚(としなお)<1961~>「キュレーションの時代」)

 

セレンディピティの由来とは

○  セレンディピティの由来とは、セレンディップ(セイロン)の三王子のお話から

 『セレンディピティという名称の由来は寓話の「セレンディップ(セイロン)の三王子」。国の危機を救うため旅に出た王子たちが途中で遭遇した難問を、持前の直観力で解決していくお話しである。それを読んだ18世紀のイギリスの作家ホーレス・ウォルポールが友人に送った手紙のなかで「偶然による大発見をセレンディピティと呼ぶことにしよう」と提案したことから広まったとされる』

(プレジデント編集部 伊藤 博之「プレジデント2007年03月19日号」より)

 

セレンディピティを逃す理由とは

○  セレンディピティを逃す理由とは、予定や予測にこだわりすぎるから

 『予測や予定にこだわりすぎるとセレンディピティを逃してしまうのは、ビジネスの現場でも同じ。ツキを呼ぶには、計画を厳密に立てるよりも、適度に緩めるほうが良いのです。そして訪れたチャンスと元々の才能が相互に作用したとき、成功は生まれます』(イギリスの作家・ジャーナリスト・クリケット選手 エド・スミスEdward Thomas "Ed" Smith<1977~>「COURRIER JAPON2014年05月号」より)

 

4.セレンディピティに影響を与えるためには

セレンディピティを高める方法とは

○  セレンディピティを高める方法とは、いろんな人に出会うこと

○  セレンディピティを高める方法とは、本をよく読むこと

 『セレンディピティ(serendipity)という言葉があります。素晴らしい偶然に出会ったり、予想外のものを発見するという意味の言葉ですが、本をよく読んでいると、このようなセレンディピティは起こりやすくなると思います。セレンディピティはいろいろな人と出会ったりして知見が高まると、起こる頻度が高まるといわれています』       (伊藤忠商事㈱取締役会長・外交官 丹羽 宇一郎<1939~>「死ぬほど読書P.158」)

 

インターネットはからっぽの洞窟


DAIGOの読書日記
クリフォード・ストール著 倉骨 彰訳 草思社 1997



最近、インターネットについてよく考える。


インターネットって、私たちにとって本当に有用なものなのか、どうかということに。


実際、インターネットで何かを検索すれば、大概のものは見つけることができる。


金環日食の画像を見たければ瞬時に最高の写真を見つけることができるし、フェルメールの人生について調べたければ瞬時にいくつもの彼のストーリーを見ることができるし、うさぎの島と検索するだけで瞬時に島の画像や行き方、宿泊施設まで調べることができる。


イスに座っているだけで、情報をもたらしてくれる手段、それがインターネット。


ただただ、この頃そんなインターネットに疑問を持っている。


それは、知らぬ間にインターネットの前で過ごしてしまう貴重な時間と、家にいるだけで何も苦労なしに手に入る貴重な情報である。


まずは、時間。


今はインターネットで時間をつぶすには最適な季節である。


というのは、アメーバピグのようなゲーム、フェイスブックやミクシィのようなソーシャルネットワークなど、画面を見ているだけで、次々と情報が更新されていくサイトが増えた。


また、経験。


金環日食を撮るためには、ある程度のカメラやレンズ、そして天候を調べ、日食を見られる時間まで写真をとる準備をしなければならない。


また、準備をして写真を撮っても、それが写っているどうかは分からない。


でも、インターネットでクリックするだけで、簡単に素敵な画像を手に入れることができる。


それに、ダウンロードもすることもできる。


そんな簡単に何でも手に入るようになったらどうだろう?


それは読んでいる人にお任せする。


今日の本は、1997年の本だけど、インターネットに対する問題点がいくつも書かれている。


この本を読んで、インターネットに対する考え方が少しでも変わったら、今後につながってくるのかな、なんて思いました。。。

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